谷秦山(たにじんざん)
生没 1663.3.11~1718.6.30 江戸前期の神道家・儒学者。本姓は大神(おおみわ)。幼名は小三次,名は重遠(しげとお),丹三郎・桜井清八とも称し,秦山は号。土佐国長岡郡別宮(べっく)八幡宮の神職の家に生まれる。1679年(延宝7)江戸に出て浅見絅斎(けいさい)・山崎闇斎(あんさい)に学び,渋川春海から天文・暦道を,ほかに伊勢神道や有職故実(ゆうそくこじつ)も学んだ。1706年(宝永3)藩命により「土佐国式社考」を著す。翌年,佐川支藩事件により蟄居(ちっきょ)に処されたが,その後も「神代巻塩土伝(しおつちでん)」「秦山集」などを著した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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