田中正造(たなかしょうぞう)
生没 1841.11.3~1913.9.4 明治中・後期の政治家,足尾鉱毒反対運動の指導者。下野国生れ。1868年(明治元)主家である六角家改革運動で入牢。71年江刺県(現,岩手県)花輪分局勤務中同僚暗殺の嫌疑で投獄され,74年無罪釈放。79年「栃木新聞」を創刊。80年県会議員となり,国会開設運動のため中節社を組織。86年県会議長。第1回選挙で衆議院議員に選出され(立憲改進党),91年第2議会で初めて足尾鉱毒問題について政府を追及。以後終生鉱毒反対運動のため奔走。1901年議員を辞職し天皇に直訴,04年以降谷中(やなか)村(現,栃木市)に住み農民とともに闘う。近年正造の人権思想・治水論・自然観は高く評価されている。「田中正造全集」全19巻,別巻1巻。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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