田中丘隅(たなかきゅうぐ)
生没 ?~1729.12.22 江戸中期の代官・農政家。諱は喜古(よしひさ)。みずから休愚・丘愚右衛門と称し,冠帯老人・武陽散民などとも号した。武蔵国多摩郡平沢村(現,東京都あきる野市)の農家に生まれ,同国川崎宿の本陣田中兵庫の養子となり,跡を継ぎ名主も兼任。農政や治水に通じ,1721年(享保6)自身の体験や見聞をもとに「民間省要」を著し,師の成島道筑を介して幕府に献上した。29年7月支配勘定並に登用され,武蔵国多摩・埼玉2郡で3万石を支配したが,同年病死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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