田中義一内閣(たなかぎいちないかく)
第1次若槻礼次郎憲政会内閣の総辞職後に成立した政友会内閣(1927.4.20~29.7.2)。田中が外相兼任。組閣後ただちに支払猶予令によって金融恐慌を収拾した。産業立国・地方分権を掲げて第1回普通選挙に臨んだが,過半数を制することができなかった。選挙後には共産主義取締りを強化し,緊急勅令によって治安維持法を改正,2度にわたる共産党検挙を実施。また3次にわたる山東出兵によって,中国の国民革命が華北・満州に及ぶのを阻止,東方会議を開催して対中国積極政策の方針を示した。張作霖(ちょうさくりん)爆死事件の処理に関する天皇の叱責によって総辞職した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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