田中角栄内閣(たなかかくえいないかく)
自民党の田中角栄を首班とする内閣。�@第1次(1972.7.7~12.22)。佐藤長期政権の後,福田赳夫(たけお)と自民党総裁の座を争い,大平正芳・三木武夫の支持を得て田中が組閣。「決断と実行」というイメージは国民の期待感に合致し,高い支持率を示した。日中国交回復を電撃的に実現する一方,内政面では「日本列島改造論」を唱えて意欲的な姿勢をとった。しかしインフレを招き,1972年(昭和47)12月の総選挙で自民党は議席を大幅に減少させた。�A第2次(1972.12.22~74.12.9)。1973年(昭和48)の石油危機と狂乱物価で民心は離反し,翌年11月,田中金脈問題の告発をうけて退陣した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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