伊達宗城(だてむねなり)
生没 1818.8.1~92.12.20 幕末期の大名。伊予国宇和島藩主。父は旗本山口直勝。号は南洲,諡して藍山公。1829年(文政12)7代藩主宗紀の養子となり,44年(弘化元)家督相続。遠江守。徳川斉昭・徳川慶勝・松平春嶽(慶永)・島津斉彬(なりあきら)・黒田長溥(ながひろ)・阿部正弘らと親交をもち,政治・国際情報や意見を交換。また高野長英をかくまい蘭書翻訳を行わせ,村田蔵六(大村益次郎)を招いて蘭学を講じさせ,台場築造・軍艦建造を行った。幕府内情を把握する情報通で,一橋慶喜(よしのぶ)を将軍に推したが,安政の大獄で隠居を命じられた。文久期以降公武合体を唱え,上京して朝議参与,四侯会議の一員として国事を周旋。67年(慶応3)王政復古で議定に就任,以後,外国事務総督・民部卿兼大蔵卿などを歴任。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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