橘広相(たちばなのひろみ)
生没 837~890.5.16 平安初期の学者・公卿。父は峰範(みねのり)。はじめ博覧(ひろみ)と称する。869年(貞観11)東宮学士,884年(元慶8)文章博士(もんじょうはかせ)・参議。陽成・光孝・宇多の3天皇の侍読(じとう)を勤めた。宇多天皇の即位にあたって起草した藤原基経を関白に任じる際の勅答が,887年(仁和3)阿衡(あこう)の紛議の原因となり,翌年責任を追及される。死後に中納言従三位を追贈された。著書の「朝官当唐官略抄」「橘氏文集」は逸文のみ伝わる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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