橘氏(たちばなうじ)
橘諸兄(もろえ)を始祖とする氏。四姓(源平藤橘)の一つ。736年(天平8)に三野(みの)王の子の葛城(かずらき)王(橘諸兄)と佐為(さい)王が,母の県犬養(あがたいぬかい)三千代が元明天皇から賜った「橘氏の殊名」を伝えるため,臣籍に降下して始まった氏で,実質的始祖は三千代ともいえる。諸兄は左大臣・正一位にまで昇り,750年(天平勝宝2)には朝臣に改姓。諸兄の死後は子の奈良麻呂が藤原仲麻呂への反乱を企てたが,失敗して勢力を失う。奈良麻呂の孫の嘉智子(かちこ)が嵯峨天皇の皇后となり仁明天皇を生むに及んで平安前期には再び隆盛を迎え,氏院学館院の創設,氏社梅宮社の創祀もなされた。嘉智子の死後はしだいに衰え,10世紀後半には氏の公卿が絶えて,氏爵(うじのしゃく)推挙は藤原氏の是定(ぜじょう)にゆだねられることとなった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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