大宰府(だざいふ)
律令制下の筑前国,現,福岡県太宰府市におかれた地方特別官庁。外交使節との交渉や接待,中央への連絡など独自の機能をもち,国防面では防人(さきもり)の指揮や軍事施設・兵器の維持などの任にあたる。府の財源には西海道諸国の調庸物などがあてられ,管下の西海道諸国に対しては,中央政府にかわり民政・財政面で強い監督権限をもった。職員は長官の帥(そち)以下,大弐(だいに)・少弐(しょうに),大監(だいげん)・少監,大典・少典の四等官のほか,主神・大少判事・大少工・博士・陰陽師(おんみょうじ)・医師・算師・防人正佑・主船(ふねのつかさ)など多くの品官(ほんかん)がある。四等官の官位相当は外官としては異例に高く,地方官というより中央の出先機関としての性格が濃厚である。こうした性格は大化前代の那津官家(なのつのみやけ)や筑紫大宰までさかのぼるが,663年(天智2)の白村江(はくそんこう)敗戦を機に現在の太宰府市の地に移され,浄御原(きよみはら)令制で基礎が確立したらしい。9世紀以降は外交以外に貿易活動も活発化する一方,帥は親王の名誉職となって遥任(ようにん)化し,権帥(ごんのそち)・大弐が事実上の長官となるが,12世紀以降はこれも遥任となり,府の実務は府官とよばれた在庁官人からなる監・典に掌握された。13世紀には鎮西(ちんぜい)奉行との一体化が進み,元寇後に鎮西探題がおかれるに及んで完全に形骸化した。府跡は国特別史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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