竹内式部(たけのうちしきぶ)
生没 1712~67.12.5 江戸中期の神道家・尊王家。名は敬持(たかもち),号は羞斎(しゅうさい),式部は通称。越後国生れ。医師竹内宗詮の子。1728年(享保13)頃上京,徳大寺家に仕え,崎門(きもん)学派の松岡仲良(ちゅうりょう)・玉木正英(まさひで)に師事し,儒学・神学を修める。若い公家衆に大義名分を重んずる垂加(すいか)神道の思想を教授したことから宝暦事件の中心人物として京都を追放され,のち山県大弐(やまがただいに)らの明和事件に連坐して八丈島に流罪の途中,病没。著書「奉公心得書」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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