平将門(たいらのまさかど)
生没 ?~940.2.- 平安中期の武将。良将(よしまさ)(良持とも)の子。母は犬養春枝(はるえだ)の女とされる。相馬小次郎と称する。下総国猿島郡・豊田郡などを本拠とする。上洛して藤原忠平に仕える。931年(承平元)女事により伯父良兼と争った。935年,源護(まもる)と平真樹(まさき)との争いで護の子らを討ち,伯父平国香(くにか)・良兼ら同族と対立し,国香を殺害。翌年朝廷に召喚され禁獄。大赦により帰国したが,その後同族間争いは激化した。939年(天慶2)武蔵国権守興世王(おきよおう)・介(すけ)源経基と足立郡司武蔵武芝(たけしば)との争いを調停しようとしたが失敗。常陸国の紛争にも介入,このほか関東諸国に出兵した。新皇と称し,弟などを国司に任命して関東の独立化をはかったが,国香の子貞盛や藤原秀郷らに討たれた。その経過は「将門記(しょうもんき)」に詳しい。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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