平教盛(たいらののりもり)
生没 1128~85.3.24 平安末期の武将。忠盛の三男。母は待賢門院女房で藤原家隆の女。清盛の異母弟。門脇中納言と称する。1148年(久安4)蔵人,従五位下。国司などを歴任し,後白河上皇の院司となる。61年(応保元)憲仁(のりひと)親王擁立の陰謀に加担した罪で解任,翌年許された。68年(仁安3)高倉天皇(憲仁親王)の即位とともに蔵人頭・参議,のち従二位中納言。平家一族では文官的役割をはたした。83年(寿永2)平家都落ちに従い,85年(文治元)壇ノ浦で入水。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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