平時忠(たいらのときただ)
生没 1127~89.2.24 平安末期の公卿。父は時信。兄弟に親宗(ちかむね),平清盛の室時子,建春門院滋子(しげこ)らがいる。子に時実(ときざね),女婿に源義経がいる。1167年(仁安2)参議となり,正二位権大納言まで進む。清盛に協力し,61年(応保元)憲仁(のりひと)親王(高倉天皇)の立太子をはかったかどで,また69年(嘉応元)には藤原成親(なりちか)に連坐して2度出雲へ配流。のち壇ノ浦の戦で捕らえられ,配所能登で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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