平忠常の乱(たいらのただつねのらん)
11世紀前半,前上総介平忠常が房総でおこした反乱。忠常は上総・下総両国で勢力を張り公事(くじ)を勤めず受領(ずりょう)の命に従わなかったが,1028年(長元元)安房守惟忠(これただ)を攻め殺した事件を契機に反乱へと発展した。政府は坂東諸国に追討官符を下し検非違使(けびいし)平直方(なおかた)を追討使として派遣したが,忠常の徹底抗戦の構えに事態は膠着化した。30年,政府が直方を更迭し,忠常を家人とする甲斐守源頼信を追討使に抜擢すると,31年4月,忠常は戦わずに頼信に降伏し,京都への護送途中,美濃国で病死した。乱は,当時一般的な反受領闘争を基調としながらも坂東平氏内の主導権争いという性格ももち,その平定は東国での源氏発展の足がかりとなった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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