平維盛(たいらのこれもり)
生没 1158?~84.3.28? 平安末期の武将。重盛の長男。通称は桜梅少将・小松少将。平氏の嫡流として若年より重要な役割をはたす。1167年(仁安2)従五位上。80年(治承4)富士川の戦で総大将となったが,戦わずに敗走,清盛の怒りをかった。翌年,尾張国墨俣(すのまた)川の戦で源行家軍を破り,その功などにより従三位。83年(寿永2)越中国礪波山(となみやま)の戦(倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦)で源義仲軍に惨敗,都落ちに従ったが,翌年一門から離れた。「平家物語」は出家したあと,那智で入水したとする。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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