大犯三箇条(だいぼんさんかじょう)
鎌倉時代の守護の基本的な職権。大番催促,謀反人・殺害人の追捕をいう。この語は鎌倉後期から使われるようになったが,実際には将軍源頼朝の末期から頼家の初期に定まったと考えられている。1199年(正治元)小山朝政(ともまさ)を播磨国守護に任じた「吾妻鏡」の記事は,大番勤仕と謀反人・殺害人の沙汰を命じ,国務への介入を戒めた。「御成敗式目」は,守護の職掌に大番催促・謀反・殺害人事を定め,夜討・強盗・山賊・海賊を加えた。その後,放火人・刈田狼藉が加わったが,基本的な内容に変化はなかった。室町幕府は「建武式目」で守護の大犯三箇条遵守をうたったが,大番役は無実化,守護が行う検断の重要項目を示す用語となっていた。15世紀前半には,放火・殺人・盗みをさしたが,戦国末期までこの3犯は死刑に処する重大犯罪の代表とされた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう