大同団結運動(だいどうだんけつうんどう)
帝国議会開設を前に反政府諸派の結集による議会の多数党形成をめざした運動。1886年(明治19)10月の自由民権派の全国有志大懇親会で,星亨(とおる)・末広重恭(しげやす)(鉄腸)らが大同団結をよびかけたことに始まる。後藤象二郎が首領に擁立され,旧自由党系と立憲改進党系の提携が策されたが,立憲改進党系は消極的だった。87年三大事件建白運動と結びついたが,同年12月,保安条例により多数の有志が東京外に追放された。88年には後藤の東北・北陸遊説などにより運動は全国的に拡大した。89年憲法発布の大赦で出獄した民権家が加わったが,後藤の入閣で運動は混乱し,同年5月,政社派(大同倶楽部)と非政社派(大同協和会のち自由党)に分裂。90年愛国公党の結成で三派鼎立(ていりつ)となったが,三派合同の動きも進み,同年7月の第1回衆議院議員総選挙をへて,九州同志会を加えた四派合同が実現し,9月立憲自由党を結成。11月の帝国議会開設を前に衆議院の第一党となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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