大内裏(だいだいり)
12世紀以降現れる用語で,内裏をさす。中世から宮城の意味で使われるようになった。内部のプランは,天皇の日常居所である内裏,国家的な儀式の場である朝堂院(大極(だいごく)殿が正殿),饗宴の場である豊楽(ぶらく)院,諸官司から構成されている。内裏・大極殿・朝堂院という宮城の中枢部は前期難波宮から存在したが,長岡宮以降,内裏と朝堂院は分離した。これは天皇の日常政務の場と国家的儀式の場の分化という変化にともなう変更である。平安宮のプランは当初から基本的に変化はなかった。10世紀以降,日常的に使用されるのは,内裏を中心とした部分だけとなり,院政期に天皇が里内裏に移り,儀式・祭祀のときだけ内裏に遷御するようになると荒廃し,1227年(安貞元)の焼失により廃絶した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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