1598年(慶長3)3月15日,晩年の豊臣秀吉が京都醍醐寺三宝院で催した花見の宴。秀吉は同年8月に没したため,最後の歓楽として有名。秀吉みずから下検分をくり返し,五重塔その他の修理を命じたため,花見準備は三宝院の再興事業ともなった。当日は子の秀頼のほか北政所・淀殿ら妻妾を連れ,山中に設けた八つの御茶屋を巡る趣向であった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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