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太閤検地(たいこうけんち)

天正の石直しとも。豊臣秀吉が全国に行った検地。1582年(天正10)明智光秀を破った直後に行った山城検地に始まるが,織田信長の奉行として行った1580年の播磨検地が,事実上の太閤検地の始まりとみなされる。秀吉は征服地を拡大するごとに原則として検地を行い,91年には国ごとに御前帳を提出させ,全国の土地が石高で一元的に表示されることとなった。以後も大名領内に奉行を派遣して重ねて検地を行った。秀吉の検地にあたる態度は征服地にとくにきびしく,反抗する者は一郷であっても「撫で切り」にすると強調している。検地の施行原則は,6尺3寸四方を1歩(ぶ),300歩を1段とし,田畑を上・中・下・下々にわけ,上田1段を1石5斗というように石盛し,枡も京枡に統一した。石高は米の予想生産量であるが,屋敷や山林なども石高に算定され,商品生産や流通上の収益なども考慮された。検地帳には耕地一筆ごとに1人の耕作者名が記載されたから,その者(名請人)の耕作権が保証され(一地一作人の原則),長(おとな)百姓が小百姓から作合(さくあい)をとることは禁止された(作合否定の原則)ので,小農の自立が促進された。太閤検地によって,残存していた荘園制は終止符をうたれ,兵農分離が確定し,石高制による近世封建社会の基礎が築かれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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