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大学(だいがく)

�@古代の中央における学問・教育のための機関。7世紀後半の天智朝に始まるとされ,大宝・養老令の官制では式部省のもとに大学寮がおかれた。博士1人・助教(大宝令では助博士)2人・学生(がくしょう)400人のほか,音博士・書博士・算生・書生などが所属し,学生は秀才・明経(みょうぎょう)・進士(しんし)などの課試をへて官吏に登用された。のち728年(神亀5)の学制改革によって文章(もんじょう)・明経・明法・算の4学科体制が成立し,730年(天平2)には衣食の給付をうける得業生(とくごうしょう)の制度が新設された。平安初期には文章道(紀伝道(きでんどう))が重視され,勧学田がおかれ,学問料が給付されるなど教育の条件が整えられた。大学はその後も中・下級官人養成の機能を維持したが,博士家の形成にともなってその実質はしだいに失われ,大学寮は1177年(治承元)の京都の大火によって焼失し,以後は復興されなかった。�A近代の学術研究と教育の最高学府。近代の大学は明治期以降,ヨーロッパの大学制度を移入して設立された。1877年(明治10)旧幕府の開成所(かいせいじょ)・医学所などを母体に東京大学が設立された。86年には工部大学校など各省管轄の教育機関を統合して帝国大学となり,「国家ノ須要」に応じる学問と官僚・高等技術者養成の役割をはたした。帝国大学はのち京都・仙台・福岡などにも設置された。1918年(大正7)の大学令以降,官立単科大学,公立・私立大学も認められ,さらに植民地に京城・台北両帝国大学が設置されるなど,大学数・学生数も増加したが,第2次大戦前および戦中期を通じて帝国大学の特権的性格は変わらなかった。戦後は6・3制の最上段階として旧専門学校・高等学校などを統合して新制大学に再編され,修業年限4年で一般教育・専門教育を施す機関となった。50年(昭和25)から2年または3年制の短期大学も発足した。戦後の大学進学率急増による大学の大衆化や序列化などに対応して,入試制度や大学の個性化などさまざまな問題もかかえている。ほかに文部科学省所管外の防衛大学校・防衛医科大学校・気象大学校・水産大学校など大学校がある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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