待庵(たいあん)
京都府大山崎町の妙喜庵(みょうきあん)にある2畳隅炉の茶室。千利休唯一の遺構として知られ,もとは利休の山崎屋敷にあったともいわれるが,利休書状などにより,むしろ豊臣秀吉が1582年(天正10)から造営していた山崎城に,秀吉のたっての願いで利休が趣向をこらしたものと考えられ,1600年(慶長5)頃妙喜庵に再興されたのであろう。入隅から天井まで土壁を塗り回した室床(むろどこ)の構成や荒壁,下地(したじ)窓,丸太材や面皮柱(めんかわばしら),2畳という極小の空間性など,利休のわびに徹する茶の湯の場として完成されていた。国宝。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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