天明の飢饉(てんめいのききん)
天明年間(1781~89)に連続して発生した大飢饉。天候不順・浅間山噴火・洪水などが原因で,奥州を中心に被害は全国に及んだ。とくに1782~83年の奥羽地方の被害は甚だしく,草根木皮や牛馬・犬猫の肉,はては人肉まで食べる惨状で,餓死者は弘前藩で8万人(13万または20万人とも),盛岡藩で4万人とも伝えられる。幕府や諸藩は施米(せまい)や御救小屋の設立,米の買占め禁止などの方策を講じたが,効果は不十分に終わった。また米価が急騰し,一揆や打ちこわしが都市を中心に各地でおこり,老中田沼意次(おきつぐ)の失脚を早めた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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