天保の飢饉(てんぽうのききん)
1833~36年(天保4~7)の全国的大飢饉。33年は天候不順で冷害・洪水・大風雨が続発,全国的に作柄は3~7分にとどまり,米価が騰貴。34,35年も不作にみまわれ,36年も全国的な凶作となり,翌年にかけて大飢饉となった。農村では農民が困窮・離散し,奥羽を中心に多くの餓死者がでた。江戸では物価が騰貴するなか,農村からの流入者や行倒れがやまず,各地で一揆・打ちこわしが続発した。幕府は米銭の賑給(しんきゅう),御救小屋の設置,酒造の制限,小売値の引下げ,囲米(かこいまい)の売却,廻米・隠米の禁止などの施策をとったが,不十分に終わった。大塩平八郎の乱に代表される各地の騒乱とともに,幕藩体制の基礎をゆるがす要因となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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