手島堵庵(てしまとあん)
生没 1718.5.13~86.2.9 江戸中期の心学者。名は信,通称は近江屋源右衛門,のち嘉左衛門,堵庵は号。京都の商家に生まれ,18歳で石田梅岩(ばいがん)に入門。44歳で家業を長男に譲り,以後心学の普及に専念。心学運動の趣旨と規則を定めた「会友大旨」を制定し,運動の中心である明倫舎ほか3舎を設立するなど,運動の組織化と統制に努めた。その教説は梅岩の思想の社会批判の面を弱めて,保守的な自己修養を中心とするものであった。著書「知心弁疑」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう