帝国国防方針(ていこくこくぼうほうしん)
日露戦争後に制定された国防対策の基本方針。陸海軍の統一的戦略方針のもと仮想敵国が決定され,これにより所要兵力と用兵綱領(作戦計画の大綱)を策定。1907年(明治40)4月制定。「国防ハ攻勢ヲ以テ本領」とし,仮想敵国を露・米・仏・独の順とした。所要兵力は陸軍戦時50個師団,海軍戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻。策定は陸海軍の協議により行われ,第1次西園寺内閣は追認するにすぎなかった。以降,国際情勢の変化をうけて仮想敵国の変更などの改定を,18年(大正7),23年,36年(昭和11)に実施。制定・改定時には,ロシア(ソ連)を主敵とし「陸主海従」の方針をとる陸軍と,これに反発し,アメリカを主敵とする海軍が激しく対立した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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