虎の門事件(とらのもんじけん)
1923年(大正12)12月27日の虎の門での摂政裕仁(昭和天皇)暗殺未遂事件。山口県選出の代議士難波作之進の四男大助は早稲田高等学院に入学したが中退。この時期社会主義思想に開眼し,テロリズムに共感。病気で帰郷中におきた関東大震災時の諸事件で反天皇思想を固め,摂政暗殺を決意。父の杖銃を持ち出して上京。議会開院式に向かう摂政の車を虎の門で待ちうけ,10時40分頃狙撃したが失敗。直ちに逮捕され,翌年11月13日死刑の判決をうけ,15日処刑された。この事件で山本権兵衛(ごんべえ)内閣は総辞職。父は代議士を辞職し,蟄居(ちっきょ)閉門中死去した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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