日中戦争の初期,日本が駐華ドイツ大使トラウトマンを仲介者として試みた対華和平工作。1937年(昭和12)10月,広田弘毅(こうき)外相がドイツの和平斡旋を打診し,親日路線に傾いていたドイツ外務省も乗り気となり,11月初旬には日本の和平条件が提示された。しかし日本の条件がその後加重されたため,中国側の態度も硬化し,38年1月には暗礁に乗り上げ挫折した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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