鳥羽天皇(とばてんのう)
生没 1103.1.16~56.7.2 在位1107.7.19~23.1.28 堀河天皇の第1皇子。名は宗仁(むねひと)。母は藤原実季の女苡子(いし)。祖父白河上皇の待望の皇嗣として誕生し,1歳で皇太子に立てられた。5歳で父の死去により践祚。1117年(永久5)白河に養育された藤原璋子(しょうし)(待賢門院,公実の女)が入内し,19年(元永2)長子(崇徳(すとく)天皇)の誕生をみた。この頃から白河と天皇との確執が生じたらしい。20年(保安元)の関白藤原忠実(ただざね)勅勘事件ののち,23年に天皇は白河の意志によって崇徳に譲位させられた。しかし,白河の死後,鳥羽上皇は忠実を政界に復帰させ,皇位継承についても藤原得子(美福門院,長実の女)の所生子(近衛天皇)を後継者に決め,41年(永治元)崇徳からこれに譲位させた。さらに55年(久寿2)近衛が病死すると,皇位に後白河天皇をあて,崇徳をあくまでも排除した。翌年,上皇は死去し,同時に保元の乱がおきることになる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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