得珍保(とくちんのほ)
近江国蒲生郡(現,滋賀県東近江市八日市)にあった延暦寺東塔院領荘園。立保の時期は不明。鎌倉中期には史料にみえる。保内の今堀郷の日吉(ひえ)神社に残された惣村掟(そうむらおきて)などの文書によって,村人たちの活動が知られる。保内は上四郷・下四郷にわかれ,農業活動を軸に山野や用水の共同管理を行い,各郷の宮座(みやざ)を中心に惣結合を発達させた。日吉神社の神人と称し商業活動を積極的に行った。商業座を結成し,他地域の商人と商圏の争いをしつつ伊勢から美濃・尾張・若狭,近江から京都へと活動圏を拡大。彼らは保内(ほない)商人とよばれ,守護六角氏とも密接に結びついて力を伸ばした。統一政権の成立過程で各郷の結合は解体され,13カ村の近世村へと姿を変えた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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