得宗(とくそう)
徳宗とも。鎌倉幕府の執権北条氏の家督。「梅松論」に「家督を徳崇(宗)と号す」とあり,時政・義時・泰時・時氏・経時・時頼・時宗・貞時・高時の9代をさす。北条義時の法名徳崇に由来するといわれる。実際に得宗を称したのは時宗の頃からで,それ以前の代々の家督も得宗とよぶようになった。義時の頃から家政機関が整えられ,政治力と経済力で他の一門を圧倒するようになり,得宗家の基盤が作られた。時頼が執権を一門の長時に譲ったのちも政務を執ったのは,彼が得宗の地位にあったことによる。この頃から評定衆の会議より,寄合(よりあい)といわれた得宗亭内での内談が重視され,専制化が図られた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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