徳島藩(とくしまはん)
渭津(いのつ)藩・阿波藩とも。阿波国徳島(現,徳島市)を城地とする外様大藩。1585年(天正13)豊臣秀吉の四国平定後,秀吉により蜂須賀家政が17万5700石を与えられ,播磨国竜野から入封。関ケ原の戦後,徳川氏が家政の嫡子至鎮(よししげ)に本領安堵,さらに大坂の陣の戦功に対し淡路国が加増され,以後14代にわたる。1633年(寛永10)家老益田豊後が分離立藩を企てて海部(かいふ)騒動がおきるが,幕府裁許により落着。藩領は阿波・淡路2国内に25万7000石。78年(延宝6)新田5万石を分与し富田(とみだ)藩が成立したが,1725年(享保10)富田藩主正員(宗員)が徳島藩世子となり廃藩,旧領に復した。特産品の吉野川流域の藍,鳴門地方の撫養(むや)塩田の塩などは藩政前期から専売とされた。1842年(天保13)前年の煙草作人の今治藩領逃散に続き,阿波5郡に及ぶ徳島藩最大の上郡(かみごおり)一揆がおきた。詰席は大広間,天保期は大廊下。藩校は寺島学問所(1790設立)など。廃藩後は徳島県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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