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徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

生没 1837.9.29~1913.11.22 江戸幕府15代将軍(在職1866.12.5~67.12.12)。父は水戸藩主の斉昭(なりあき)。母は貞芳院。幼名七郎麿。はじめ昭致。1847年(弘化4)御三卿一橋家を相続。53年(嘉永6)将軍に就任した13代家定は病弱で,将軍継嗣が重大な政治問題に発展。慶喜を擁する一橋派と和歌山藩主徳川慶福(よしとみ)を推す南紀派との対立が激化。また日米修好通商条約の勅許問題も絡んで複雑な政治状況を呈した。58年(安政5)南紀派の井伊直弼(なおすけ)が大老に就任,無勅許の条約調印を断行し,慶福を14代将軍家茂(いえもち)とした。慶喜は斉昭らと条約調印に異を唱え直弼を譴責したが,逆に隠居・謹慎を命じられた。62年(文久2)一橋家再相続。将軍後見職。上洛し幕権の伸長に尽力。66年(慶応2)家茂が第2次長州戦争の陣中で没したため,15代将軍となる。新しい政治状況の醸成のため翌年大政奉還を行うが,王政復古の大号令,鳥羽・伏見の戦により政治的・軍事的に敗北し,朝廷に対して恭順した。68年(明治元)静岡に移住し30年間閑居。1902年に公爵,08年には勲一等旭日大綬章をうけた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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