徳川氏(とくがわし)
江戸時代の将軍家。はじめ松平氏と称し,三河国松平郷に本拠をもつ。信重のときに世良田親氏(せらだちかうじ)(徳阿弥,上野国世良田荘,新田氏の後裔と称す)を養子としたのに始まるという。戦国期に7代清康が一時世良田氏を称し,9代家康の代に徳川氏に改称。6代信忠より繁栄,8代広忠は一族の反乱と織田氏の進出に悩み今川氏に属した。広忠の子家康は1560年(永禄3)今川氏滅亡後織田氏と結び,三河国を平定。織田信長没後は豊臣政権に協力し,90年(天正18)後北条氏の滅亡後に関八州に転封となった。豊臣秀吉没後,1600年(慶長5)関ケ原の戦で勝利し,03年将軍宣下をうけ江戸幕府を開いた。以後,徳川姓は本家並びに御三家(名古屋・和歌山・水戸)・御三卿(田安・一橋・清水)の嫡流にかぎり,他の庶流・支族は松平姓を称した。15代将軍慶喜(よしのぶ)のとき大政奉還となり,1868年(明治元)家達(いえさと)(田安亀之助)が宗家を継ぎ静岡70万石を領し,廃藩置県後は華族に列する。84年に公爵。旧御三家は侯爵。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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