徳川家茂(とくがわいえもち)
生没 1846.閏5.24~66.7.20 江戸幕府14代将軍(在職1858.12.1~66.8.20)。父は和歌山藩主の斉順(なりゆき)。母は側室実成院。幼名菊千代。法号昭徳院。斉順の遺領を相続した斉彊(なりかつ)の養子となり,1849年(嘉永2)4歳で藩主。元服して慶福(よしとみ)。時の13代将軍家定は病弱で,世子誕生の期待が薄かったため将軍継嗣問題が発生し,慶福を推す門閥譜代の南紀派(なんきは)と,一橋慶喜(よしのぶ)を擁する一橋派の対立が激化。58年(安政5)4月,南紀派の井伊直弼(なおすけ)が大老に就任,6月慶福が継嗣と決定。7月家定が没し,同年末将軍職を継ぐ。公武合体のため孝明天皇の異母妹和宮(かずのみや)と婚姻。63年(文久3)・64年(元治元)の2度上洛し,公武の融和に尽力。66年(慶応2)第2次長州戦争では進発し,大坂城に入ったが幕府軍の敗報の中で病死。8月20日発喪。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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