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徳川家斉(とくがわいえなり)

生没 1773.10.5~1841.閏1.7 江戸幕府11代将軍(在職1787.4.15~1837.4.2)。父は御三卿の一橋治済(はるさだ)。母は側室慈徳院。幼名豊千代。法号文恭院。10代将軍家治は,田安家の定信を世子に望んだが,定信は田沼意次によって白河松平家に養子にだされ,1781年(天明元)家斉が世子となる。86年家治の死去により将軍職を継ぐ。翌年白河藩主松平定信が老中首座に就任。寛政の改革が始まる。定信の失脚後,老中首座松平信明(のぶあきら)が改革路線を一応引き継いだが,1818年(文政元)家斉側近の水野忠成(ただあきら)が老中首座になると,田沼時代末期のような賄賂・情実の政治が行われた。側室通算40人,子女55人をもうけ豪華な生活を送り,37年(天保8)隠居したが大御所(おおごしょ)として実権を握った。死後(発喪は閏正月30日),天保の改革が始まる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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