徳川家綱(とくがわいえつな)
生没 1641.8.3~80.5.8 江戸幕府4代将軍(在職1651.8.18~80.5.8)。3代将軍家光の長男。母は側室宝樹院(お楽の方)。幼名竹千代。法号厳有院。11歳で将軍職を継ぐが,就任当初,由比正雪らの慶安事件が生じた。前代の遺老酒井忠勝・松平信綱・阿部忠秋や叔父の保科正之が補佐。殉死の禁止,末期(まつご)養子の禁緩和,証人(人質)制廃止などの牢人対策,寛文印知,度量衡の統一,全国的商品流通政策などの諸制度の整備,キリシタン統制のため宗門改の全国制度化など,大老・老中の合議制の下で幕藩制の安定化が進められた。保科正之らが引退してからは,大老酒井忠清に権力が集中した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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