銅鐸(どうたく)
弥生時代に盛行した日本特有の青銅製の鐸。農耕祭祀に用いられたとみられる。20cm前後のものから135cmの大型品まである。吊り下げるための半環状の鈕(ちゅう)と断面杏仁(きょうにん)形の身からなり,その内面端部近くには突帯がめぐる。鐸身の側面に,鰭(ひれ)とよぶ扁平な装飾部をもつ。内部に舌(ぜつ)を下げ,それが身にふれて音を発する鳴り物で,朝鮮式小銅鐸が祖型とされる。身を飾る主文様の違いによって横帯文銅鐸・袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸・流水文銅鐸などとよぶが,菱環鈕(りょうかんちゅう)式・外縁付鈕式・扁平鈕式・突線(とっせん)鈕式という鈕の構造変化に主眼をおいた型式分類が一般に用いられ,この順で銅鐸は大型化をたどる。その過程で鳴り物としての機能は変質し,徐々に祭器的・儀器的色彩を強める。これまでに約500個体が知られ,近畿地方を中心に西は島根・広島・香川・高知,東は福井・岐阜・長野・静岡まで分布する。また佐賀県吉野ケ里遺跡で横帯文銅鐸が発見され,九州でも一時期銅鐸の祭祀があったことが明らかとなった。集落から離れた山の中腹や谷間の傾斜地などから発見されることが多いが,集落からの発見例も増加している。銅鐸埋納(まいのう)の意義には宝器隠匿(いんとく)説・祭器埋納説・地中保管説・境界埋納説などがあるが,まだ定説をみない。製作開始時期も弥生前期末とする説と中期以降とする説がある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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