東郷茂徳(とうごうしげのり)
生没 1882.12.10~1950.7.23 昭和期の外務官僚。鹿児島県出身。1912年(大正元)外交官・領事官試験に合格。33年(昭和8)外務省欧米局局長。34年外務省欧亜局局長。37年ドイツ駐在特命全権大使。38年駐ソ大使。松岡洋右外相の命により40年に帰朝。41年日米交渉の継続を条件に東条内閣の外相兼拓相として入閣。42年9月,大東亜省設置に反対して東条首相と対立し,単独辞職。同月勅選貴族院議員。45年鈴木貫太郎内閣の外相兼大東亜相に就任。ソ連を仲介とした終戦工作にあたる。8月9日のソ連の対日参戦とアメリカの長崎への原爆投下により,国体護持を条件にポツダム宣言の受諾を主張。第2次大戦後A級戦犯として禁錮20年の判決をうけ,米陸軍病院で死亡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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