唐(とう)

中国,隋末の混乱のなか李淵(りえん)(高祖)が恭帝の禅譲をうけて開いた王朝(618~907)。都は長安。子の李世民(りせいみん)(太宗)は名臣を得て,貞観(じょうがん)の治の繁栄を迎える。律令格式を制定し,均田制・府兵制を整備して強大な中央集権体制を築いた。また突厥(とっけつ)・吐谷渾(とよくこん)・百済・高句麗を破り,羈縻(きび)政策および冊封(さくほう)体制によって外夷を治め,世界帝国としての国際関係を築いた。690~705年の間,則天武后(そくてんぶこう)が政権を奪うが,8世紀初めには玄宗のもとで開元の治の安定をみた。しかし755年からの安禄山(あんろくざん)の乱で都は荒廃。さらに875年の黄巣(こうそう)の乱で王朝は大きく衰退,地方では節度使(せつどし)の割拠が進み,哀帝が黄巣の部下朱全忠(しゅぜんちゅう)(五代・後梁の太祖)に禅譲して王朝は滅んだ。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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