刀伊の入寇(といのにゅうこう)
1019年(寛仁3)刀伊の賊が50隻余りの船団で,対馬・壱岐・北九州に襲来した事件。大宰権帥(だざいのごんのそち)藤原隆家の指揮のもと,地元の武士団の奮戦で撃退したが,死者365人,拉致された者1289人という被害がでた。拉致された者のうち300人余りは高麗(こうらい)で保護され,帰国を許されている。事件の顛末は藤原実資の日記「小右記」などにも詳しい。刀伊は朝鮮語の異民族を意味するDoeの音訳といわれるが,当時沿海州地方に住むツングース系民族の女真(じょしん)が朝鮮半島の東海岸を荒らし,南下して北九州地方にまで侵寇したものであろう。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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