対馬国(つしまのくに)
西海道の一島。現在の長崎県対馬市。「魏志倭人伝」には対馬国,「隋書倭国伝」には都斯麻と記され,「古事記」には大八島(おおやしま)の一つとして津島とある。「延喜式」の等級は下国。所属の郡は古来から2004年(平成16)まで上県・下県の2郡。島府と島分寺は下県郡(現,対馬市厳原(いずはら)町)におかれ,一宮は海神神社(現,対馬市峰町)。「和名抄」所載田数は428町余。「延喜式」では調は銀とされるが,ほかにも鉛・錫・真珠・金漆が献上されたことが,平安中期の「対馬国貢銀記」にみえる。海峡を隔てて朝鮮半島とむかいあうため,古来外交・軍事上の要地であった。664年(天智3)以降,防人(さきもり)・烽(とぶひ)がおかれ,666年には金田城(現,対馬市美津島町)が築かれた。刀伊(とい)の入寇,元寇の際には大きな被害をうけ,倭寇の拠点や,文禄・慶長の役の基地ともなった。古代には対馬国造氏が有力であったが,のち在庁官人出身の阿比留(あびる)氏,鎌倉時代以降は宗(そう)氏の支配下におかれ,そのまま近世の府中藩(対馬藩)に至る。卜部(うらべ)多数が住み,日本の亀卜の発祥地という。1871年(明治4)の廃藩置県により厳原県,ついで伊万里県となり,翌年5月伊万里県は佐賀県と改称,同年8月長崎県に編成がえとなる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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