上杉謙信(うえすぎけんしん)
生没 1530.1.21~78.3.13 戦国期の越後国の武将。長尾為景の子。初名景虎,ついで上杉政虎・同輝虎,入道して謙信。武田・後北条両氏などと戦い,戦国武将を代表する1人だが,その勢力圏はほぼ越後一国にとどまった。1548年(天文17)家督となり,50年守護上杉定実の死去により名実ともに越後国主となる。武田信玄の信濃北部への進出に対抗。53年信濃に出動し,以後しばしば武田勢力と戦った(川中島の戦)。北条氏康に関東を追われた関東管領上杉憲政を保護。60年(永禄3)から翌年にかけて憲政を擁して関東に進出,氏康の本拠相模国小田原城(現,神奈川県小田原市)を攻めたが,攻略できなかった。このとき憲政から上杉姓と関東管領職を継承,以後ほぼ毎年関東に出動したが,成果を残せなかった。武田・後北条両氏の敵対により,69年後北条氏と同盟したが,短期間で破れた。北陸方面では73年(天正元)越中を制圧,さらに能登・加賀に進攻,織田信長軍と戦った。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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