和田義盛(わだよしもり)
生没 1147~1213.5.3 鎌倉前期の武将。幕府の初代侍所別当。父は三浦義明の子義宗。通称小太郎。本領は相模国三浦郡和田郷。1180年(治承4)源頼朝挙兵時には,三浦義澄とともに頼朝軍に加わった。同年11月,侍所が設置されると初代別当となって軍政を担当。95年(建久6)頼朝上洛に際し洛中警固の奉行を勤め,頼朝の推挙で左衛門尉に任官。99年(正治元)源頼家の親裁を停止する十三宿老(しゅくろう)合議制がしかれるとその一員となった。梶原氏追討や比企(ひき)氏討滅に北条氏と同一歩調をとったが,1213年(建保元)泉親衡(いずみちかひら)の乱に一族が加わり北条義時と対立,和田合戦をおこして敗死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう