和歌山藩(わかやまはん)
紀州藩とも。紀伊国和歌山(現,和歌山市)に城地をもつ大藩。御三家の一つ。紀伊国一国などを領有。1600年(慶長5)浅野幸長(よしなが)が甲斐国から入封,37万6500石余。19年(元和5)広島へ転封となり,徳川家康の十男頼宣が駿府50万石から入る。藩領は紀伊国一国と大和・伊勢両国の一部を含む55万5000石余。以後14代にわたる。吉宗・家茂の2将軍を出す。浅野幸長が入封直後に領内検地を実施して以後,本格的な検地は行われていない。徳川頼宣の藩主在任は50年近くに及び,2代光貞の頃までに藩政の基礎が確立。幕府から付けられた家老の安藤・水野・久野各氏が領内の要所に配され,藩政のうえでも重きをなした。明治初年,安藤氏と水野氏はそれぞれ田辺藩・新宮藩として独立。特産物の醤油・酢・蜜柑・備長炭(びんちょうずみ)などは藩の専売。1823年(文政6)旱魃を契機に大規模な一揆(文政の水騒動)がおきた。詰席は大廊下。藩校学習館。支藩に伊予国西条(さいじょう)藩。廃藩後は和歌山県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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