若槻礼次郎内閣(わかつきれいじろうないかく)
�@第1次(1926.1.30~27.4.20)。加藤高明(改造)内閣の総辞職後,加藤内閣の内相若槻礼次郎が組織した憲政会内閣。幣原(しではら)喜重郎外相を中心に対中国協調外交を進めたが,金融恐慌に際して幣原外交を軟弱外交と批判する枢密院によって,台湾銀行救済のための緊急勅令案を否決され,総辞職した。�A第2次(1931.4.14~12.13)。浜口雄幸(おさち)内閣の総辞職後,若槻が組織した民政党内閣。浜口内閣の井上財政と幣原外交とを継承。満州事変には不拡大方針をとったが,軍部の独走を阻止できなかった。安達謙蔵内相らの協力内閣運動による閣内不一致のため総辞職した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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