山県大弐(やまがただいに)
生没 1725~67.8.22 江戸中期の儒学者。名は昌貞,字は子恒,通称を軍治,のち大弐。甲斐国生れ。甲府与力のとき,弟が殺人逃亡をはかったため改易。江戸で若年寄大岡忠光に仕え,忠光の死後辞去し,江戸八丁堀に家塾を開いて,古文辞学の立場から儒学や兵学を講じた。上野国小幡藩家老吉田玄蕃(げんば)ら多くの藩士を弟子としたが同藩の内紛に巻き込まれ,1766年(明和3)門弟に謀反の企てがあると密告されて捕らえられ,翌年幕府を憚る議論をしたとの理由で処刑された。著書「柳子(りゅうし)新論」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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