埼玉県吉見町にある古墳後期の横穴墓群。市野川に臨む凝灰質砂岩の崖面に営まれ,200基をこえる横穴墓が確認された。1887年(明治20)坪井正五郎が地元の支援をうけて発掘。この調査を契機に「穴居説」と「墓穴説」の論争が行われ,学史的に著名。副葬品には,装身具類・武具類・土器類・円筒埴輪などがあり,6世紀の終りには横穴墓が営まれ始めていることが知られる。国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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