吉益東洞(よしますとうどう)
生没 1702.5.-~73.9.25 江戸中期の医師・古方家。父は畠山重宗。名は為則,通称は周助。東洞は号。安芸国広島生れ。古医方を修め,天下の医師を医すとの理想にもえて,1738年(元文3)京都に移った。後藤艮山(こんざん)についてさらに古医方を究め,親試実験主義を貫き万病一毒説を唱えた。山脇東洋の推挽により世に認められ,医名は全国にひびいた。門人は中西深斎・前野良沢・和田東郭ら千数百人。著書「類聚方」はベストセラーで,ほかに「方極」「薬徴」「医事或問」「古書医言」。墓所は京都市の荘厳寺。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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