吉田定房(よしださだふさ)
生没 1274~1338.1.23 鎌倉末~南北朝初期の公卿。経長の次男。蔵人(くろうど)・弁官・蔵人頭をへて,1302年(乾元元)参議となる。父とともに大覚寺統に親近し,後宇多上皇の執権・伝奏となった。また乳父(めのと)として後醍醐天皇に近侍して側近となり,北畠親房・万里小路(までのこうじ)宣房とともに「後の三房」とよばれた。元弘の乱は,定房が討幕計画を鎌倉幕府に密告したことが発端となったといわれるが,幕府滅亡後の建武政権下では,再び後醍醐天皇に重用され,内大臣に任じられるという破格の昇進を遂げた。南北両朝の分裂時には北朝に仕え,のち南朝に走り,吉野で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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